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横浜地方裁判所 昭和40年(わ)910号 決定

威力業務妨害 被告人 三浦利男

〈ほか六名〉

右頭書被告事件につき弁護人陶山圭之輔外四名から証拠開示の申立があったので当裁判所は、検察官の意見を聴いた上次のとおり決定する。

主文

検察官は、弁護人に対し、別紙記載の各証人の検察官に対する各供述調書中、各立証趣旨に副う分の全てを、当該証人の主尋問終了後反対尋問の以前において閲覧させなければならない。

理由

一、本決定に至るまでの経過

本被告事件において、検察官は冒頭陳述終了後従来の慣行を破り、立証として供述調書類の証拠申請をせず、いきなり証人尋問の請求をなしたため、弁護人はその防禦の準備の必要上、その証人の検察官に対する供述調書(以下検面調書と略称)ならびに司法警察職員に対する供述調書の即時一斉開示を求めたところ、検察官は言を左右にしてこれに応ぜず、数次の折衝の末、弁護人は裁判所に対し、検察官において任意の開示をなすべく勧告の要請をなしたので、当裁判所は審理の経過に鑑み証拠の事前開示の必要性の存する事案であると判断した上検察官に対し再三に亘り勧告して来た。しかるに検察官は終始本件においては立証は証人のみで行う方針であり当該証人に関しては現段階ではその供述調書の取調べ請求する意思はなく、たとえ弁護人の要求、裁判所の勧告があっても検察官においてかかる供述調書を弁護人に対し開示する義務は刑訴法上何ら存しないものでありこのことは最高裁判所昭和三四年一二月二六日および同昭和三五年二月九日の各第三小法廷決定によるも明らかであること、又尋検察官申請の各証人に対する反対尋問は主尋問の範囲内で行うものであるから反対尋問以前にこれを開示する必要もない旨、主張して、当裁判所の勧告にも応ぜず、ここにおいて弁護人はついに当裁判所に対し本件開示命令の申立に及んだものである。

二、当裁判所は本件において、証人の検面調書については裁判所の訴訟指揮権の行使により、検察官の主尋問終了後弁護人の反対尋問に先立って、これを弁護人の閲覧に供するよう検察官に命ずることが出来るものと解するものであるがその理由を以下順次述べることとする。

(一)  証拠開示の必要性について

言うまでもなく刑訴法は、直接主義を建前としており証拠中、人の供述によるものは直接証人を尋問するのが原則である。しかし刑事裁判の現実においては、証人がすでに捜査官の面前において供述したその録取書がある場合、通常弁護人においてその供述録取書を予め検討し、反対尋問の要なしとして同意するならばその供述録取書に証拠能力が与えられ、その結果として証人尋問の煩瑣な手続が省略されることによって事実上訴訟促進の上からも、又訴訟経済の上からも大きな利益を生んでいることは経験に照らし明らかである。従来検察官は、その立証にあたり、手持ちの書証を事前に弁護人に閲覧せしめた上で公判においてその認否を求め、弁護人が同意したものはその書証を証拠として取調べ請求し、不同意の分については、その供述者を証人として申請するのが通常であり、このことは全国的に一つの慣行となって久しい。しかるに近時において検察官は公安労働事件等ある一部の事件においてはその立証として直接証人尋問の申請による一方、手持証拠の事前開示はこれを一切拒否する態度に出るようになった。検察官のかかる態度が何に起因するものかは定かではないが、その真意は、当初不同意が予想される書証は開示するも無意味であり相対立する当事者たる被告人側に手の内を見せる必要はないこと、特殊事件にあっては事前開示により証人が威迫を受ける虞或いは又、罪証隠滅の虞を招来する、と言うのであるやに推測される。しかし同意不同意は書証を閲覧した上でなければ明らかにならず、又不同意部分が調書の一部のみに存するときはこれを排除した上で同意すると言う場合もあり、結局検察官が、或る特殊事件についてのみ弁護人の不同意を想定し、ことさらに証拠の事前関係を拒否して直接証人尋問に移行することは、不必要な訴訟の渋滞を来すものであり争点を明確にして訴訟の迅速化を図らんとする刑訴法第一条、刑訴規則第一条の趣旨にも背くものである。

つぎに、証人威迫、罪証隠滅の虞に至っては、仮にこれあるとしても後述の如く証拠開示の時期、方法により制約すれば殆ど支障を来すことは考えられない。

さらに弁護人に検察側証人に対する反対尋問を有効適切に行使させるためには、その証人の供述調書の事前閲覧が必要不可欠である。刑事訴訟の究極の目的は真実の発見に帰するのであるが刑訴法はその実現の方途として当事者主義を大巾に採用した。これは旧刑訴法とは異なり現行刑訴法が起訴状一本主義を採用するなど裁判所を第三者的立場に後退させ、その代り被告人の地位防禦権を充実強化して訴追者たる検察官と対等の立場に立たせることにより、両当事者の活発な論争と立証活動の中でこそ実体的真実主義の理想が達成されるものと期待したものに他ならない。かような意味において検察官と弁護人とは、互いに相反する立場にこそ立て、共に実体的真実発見のため協力し合う義務があるものであり、従ってその間の斗争と言うも民事訴訟における原被告の如き利害相反する者の間の互に勝たんがための斗争とは、その性格を異にするのである。しかしてこのことを証人尋問について見れば、証人およびその供述調書は全て真実発見のため検察官、弁護人の双方が相反する方向からする真実追及の一手段たるものであって、それはひとり検察官だけのものではなく本来当事者双方の用に供すべき証拠方法たるべき性格をもつものである。しかるにいま検察官の証人尋問を見るに検察官は証人尋問前に当該証人の供述調書を慎重に検討し準備を整えた上で尋問に臨むものであるが、もし供述調書の開示を一切許さない場合においては、弁護人は当該証人が捜査官の面前において如何なる供述をなしたかも判らないまま検察官が為した主尋問による証人の供述の範囲内で反対尋問する外はない。かような場合には検察官がもし故意に、又は過誤により、あるいは必要なしと考えて証人が捜査官の面前で供述した部分を主尋問において尋問しない場合には、その部分が証言として公判廷にあらわれない虞が不可避的に生じるのである。

このことを本件について見た場合、本件は既に起訴後四年近くも経過し、検察官申請の各証人においても多分に記憶喪失や思い違い等の生じて来ていることは容易に推察しうるところである。而して検察官は本件の立証は主として証人のみで行い捜査段階における各証人の供述調書はこれを取調請求する意思なしと主張する。しかしこれを経験に即して考察するならば、時日が経過し記憶の薄れた証人に対する主尋問は、勢い右記憶の新鮮な時期に為された供述としての証人の捜査官に対する供述調書に依拠して行われざるを得ないことは見易い道理である。即ち本件の如き事案にあっては、たとえ検察官が証人のみによって立証する旨くり返し述べているとしても、その実質は当該供述調書を弁護人の目に触れさせることなく右調書に全面的に依拠して各証人に対する主尋問を敢行し、弁護人の反対尋問によって右主尋問による供述がいささかでも動揺することのあるときには、すかさず刑訴法第三二一条第一項第二号後段の書面としてその検面調書を取調請求するに至ることは容易に予想され得るところである。その意味において検察官の再三の釈明にもかかわらず本件において各証人の捜査官に対する供述調書なかんずく検面調書の重要性はたとえそれが現在の段階において現象的に訴訟の表面から姿を消しているとしても一向に減ずるものではない。然る上は弁護人にとっても、事案の真相を誤りなく知り適宜有効な反対尋問の準備をなすため右証人の供述調書を、少くとも反対尋問前には閲覧しておくことが、本件における被告人の防禦を尽す上で、又訴訟を円滑に進め実体的真実主義の要請に能うかぎり答えていく上で、必要不可欠のことと言わなければならないのである。

さらに前述のとおり、検察官は本件公判において検面調書を取調請求する意思はないと言うも、検面調書と証人の供述内容とが喰い違った場合には、証人尋問終了後の段階において、それが被告人に不利なものであれば同法第三二一条第一項第二号後段の書面として法廷に提出しようとするであろうが、それが被告人に有利なものであればその公益の代表者たる立場から同法第三〇〇条により取調請求義務を負うに至るのである。そして弁護人はそれが主尋問にあらわれない限り、たとえ参考人調書中被告人に有利な事実があるとしても反対尋問の中でそれを明らかにすることはできない上、自ら積極的にこれを法廷に顕出していく方途は閉ざされているのである。勿論法第三〇〇条による検面調書の取調請求義務については、取調請求すべきか否かの要件判断は第一次的には公益の代表者としての検察官の良識に委ねられていると解しうるにしても、それが最後的にも検察官の専権であるか否かは検察官の当事者たる性格と事柄の重要性との双方から考察した場合、多分に疑問と言わざるをえない。むしろ同法第三〇〇条の趣旨は、事前に検面調書を弁護人に開示しその上に立って、第一次的に取調請求義務の有無を検察官に委ねるにしても、それによって実効を期し難い場合には弁護人の申立による裁判所の決定に委ねてこそその趣旨が正しく生かされるものと解されるのであって、その意味においても証拠開示の必要性は肯定されなくてはならないのである。

(二)  証拠開示の要件について

当裁判所は、現行法の解釈として包括的事前開示を認めることは妥当でないと思料するものであり、個々的に夫々の訴訟の局面において裁判所の適切な訴訟指揮権に基き個別的開示を認めんとするものであるが、開示決定は如何なる場合に如何なる程度において行うべきであろうか。まず開示決定は裁判所が職権でこれをなすのは妥当ではなく弁護人がこれを申立てた場合になすべきである。又それは、本件の如く事件後時日が経過し証人の記憶が薄れ十分なる供述が必らずしも期待しえない場合のように、証人尋問が供述調書に依拠して行われる蓋然性が強い等、証拠開示が弁護人の弁護活動にとって重要と認められる場合であることを要する。けだし証人の記憶が新鮮でその証言が微細に亘り事案の真相を正しく反映しうる場合には、供述調書の演じる役割はさほど大きくなく、立証反証活動も供述調書に依拠せず主尋問、反対尋問によって十分に真相に近付くことが可能なのであって、かような場合には裁判所の開示決定をあえて必要とせず開示の許否は両当事者の自治に委ねておく方がむしろ望ましいのである。而して如何なる場合に弁護活動にとって重要か否かは、当該事案に即して裁判所が個々的に判定していく以外ない。

次に供述調書類のうち如何なるものを開示の対象となすべきか。

元来、司法警察職員に対する供述調書は証言との喰違いが生じるも反証としては刑訴法第三二八条による外ないのであるが検面調書においては刑訴法第三二一条第一項第二号後段の書面として証拠能力を有するに至ることがあり、且つ同法第三〇〇条によりその取調請求が義務づけられる場合がある等その演ずる役割は他の書証に比し、比較にならぬ程大きく、被告人側の利害関係も大である。従って開示の対象としてこれを考えるとき検面調書の開示によって被告人側の防禦権は基本的に満たされると考えてよい。又検察官は証人申請に当り立証事項を明示しこの範囲内で主尋問を行うものであるから反対尋問に当っても検面調書が数通存する場合当該立証事項に該当する調書のみで足りるのである。しからば開示の時期如何。これは基本的に当該事案に即して、裁判所の適切な判断に従って決められるべき事柄であるが、本件にあっては証拠開示の必要性が、前述のとおり主として弁護人の反対尋問のための資料とするにありその趣旨からして検察官の主尋問終了後反対尋問の以前においてなされれば足りるのである。而してこの段階においては検察官の懸念する証人威迫、罪証隠滅の虞も殆ど杞憂に過ぎぬこととなるであろう。

以上を要するに、本件において検察官手持ちの証拠の開示は、弁護人の反対尋問の必要性から見て(一)弁護人より開示の申立があること、(二)事件後日時が経過する等証人に十分な証言が期待しえず当該供述調書の訴訟の背後において果たす役割が大である等、開示が弁護の準備にとって必要不可欠であること、(三)証人の検面調書のうち当該立証事項に関連する分のみにつき、(四)検察官の主尋問終了後弁護人の反対尋問前に行うのが妥当と思料されるのである。

(三)  証拠開示決定の法的根拠について

裁判所は訴訟の主宰者として訴訟進行のための固有の包括的権限として訴訟指揮権を持つ。それは訴訟の複雑多岐な道程を指導していくものであるから必然的に広い裁量の余地を持ち、法律の明文の規定に反しない限り当該事件の適正な審理のため訴訟のそれぞれの局面に即応した弾力性のある行使が期待され、その適正な行使によってはじめて裁判の公正と威信とが具現されるものである。

証拠開示については刑訴法第二九九条以外に明文は存在しない。しかしたとえ明文がなくとも憲法上の要請に矛盾せず、むしろそれに副い、現行刑訴手続の基本構造に照らしても是認されうるようなものであれば裁判所の具体的な訴訟指揮権の発動によってこれを当事者に命じても違法ではないと解される。いま刑訴法第一条は、刑事訴訟の大目的を明示し審理の迅速と実体的真実の発見を強調しているのであるが前述した如く、この第一条と同法第二九九条、第三〇〇条ならびに刑訴法の基本構造に照らし、証人尋問なかんずく憲法第三七条に基く弁護人の反対尋問権の保障の観点から、当裁判所は前記の如き要件の存在を前提として検察官に対し手持ち証拠の開示を命ずることとしたものである。

もっともこの点については既にこれを否定的に解した二つの最高裁判所の判例が存在する。しかし最高裁判所昭和三四年一二月二六日第三小法廷の決定は、起訴状朗続前の段階におけるいわゆる包括的事前開示に関する事案についての判断であって本件とは事案そのものを異にしており、又同昭和三五年二月九日第三小法廷決定は本件と多分に類似せる事案に関するものであるが、刑訴法第四三三条第一項の特別抗告申立の要件を欠いたため不適法として棄却された事案に関して傍論として説示されたものであって一般的に主尋問終了後反対尋問前において検面調書の開示を要しないと言うに過ぎず本件の如く要件を限定した上で、制限的に開示を命ずることまでをも否定した趣旨か否かは明確ではないのである。

三、而して本件は、冒頭に述べた如く検察官より立証として直接証人の申請がなされたものであるが、事件後既に約四年を経過しその間検察官の交替数次にわたり裁判所の構成も全て交替し、証人、被告人等の事件当時の記憶もかなり薄れている現状にある。かかる場合、弁護人の反対尋問も事前に証人の供述調書を閲覧するのに非ざれば適切有効にこれをなしえない事情がうかがわれるのであって、かようなときこそ裁判所がその訴訟指揮権を発動し、主文の如き内容の証拠開示を命じ、もって訴訟の円滑なる進行を図るべき事態なりと判断した上、本決定に至ったものである。

(裁判長裁判官 野瀬高生 裁判官 芥川具正 裁判官 秋山賢三)

〈以下省略〉

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